高校生左腕として、早くから2022年のドラフト上位候補として名前が挙げられていた京都国際森下 瑠大投手(3年)。1年秋から投打の主力選手として活躍し、チームの甲子園初出場に大きく貢献した。

 今年は世代No.1左腕として活躍が期待されたが、春のセンバツは新型コロナウイルスの集団感染により出場辞退。その後は左肘の故障にも悩まされ、最後の夏も甲子園には出場したが、思うようなパフォーマンスは発揮できなかった。

 8月下旬、森下は学校のグラウンドで同級生と汗を流していた。同級生の有力選手は侍ジャパンU-18代表に合流している。本来なら森下も選出される実力があるはずだったが、夏のコンディションを見れば、落選も致し方なかったか。「選ばれることを期待していたので悔しいです」とは言うものの表情に悲壮感はなく、次のステージに向けて準備を進めている。

約30校の勧誘の中から京都国際へ進学決める



京都国際・森下瑠大

 京都府福知山市で生まれ育った森下は、福知山成美でもプレーした兄・魁斗さんの影響で小学1年生の時に昭和GUTSで野球を始めた。生まれつき何をするのも左利きで、5年生から本格的に投手を始めたという。

 中学では兄と同じ福知山ボーイズに所属。鶴岡一人記念大会の関西選抜にも選ばれ、岡西 佑弥内野手(智辯和歌山)、光弘 帆高内野手(履正社)、戸井 零士内野手(天理)、谷口 勇人外野手(大阪桐蔭)など、そうそうたるメンバーの中に名を連ねていた。

 当時の最速は127キロだったそうだが、「体は全然できていないけど、鍛えたら面白そう」と京都国際の小牧 憲継監督は将来性を高く評価していた。他にも甲子園優勝経験校など約30校から誘いの話はあったそうだが、「練習を見た時は凄く熱心だと思って、選手を思えるチームだと思いました」と京都国際への進学を決断。甲子園出場よりもプロ野球選手になることに魅力を感じていたことも京都国際進学の決め手となった。

 1年生の夏は甲子園が中止で独自大会になった影響もあり、レギュラーになったのは秋からだったが、「コロナがなかったら夏からメンバーに入れていたでしょうね」と小牧監督は語る。当時のエースだった入海 勇太と4番だった早 真之介(現ソフトバンク)を将来的には投打で上回る選手になると小牧監督は予感していた。

 秋から満を持して投打の主力選手になると、近畿大会4強入りに貢献。翌春のセンバツ初出場の立役者となった。

 初めての甲子園は延長10回の末に柴田(宮城)を下して初戦突破するも2回戦で東海大菅生(東京)に逆転サヨナラ負け。「一球の重みというところが甲子園では全て出てしまう」と大きな教訓を得る大会となった。

 甲子園から帰ってきてからは練習への意識が変わった。「それまでは自分のことを黙々とやるタイプでしたが、自分が練習から姿勢で引っ張っていこうと、先輩にも臆することなく言えるようになりました」と小牧監督も森下の成長について語っている。

 2年夏の甲子園はベスト4と躍進。「勝てば勝つほど力が付くんだなと思いました」と1勝を積み重ねるごとにチームの成長を実感していた。この大会では智辯学園(奈良)の前川 右京(現阪神)などプロに進む選手と対戦したが、「自分のコントロールで良いバッターでも抑えられることがわかったので、コントロールをもっと磨いたらプロでも勝負できるのかなと思いました」と自信を深める場にもなった。