目次

[1]明徳義塾の環境は自分に合っていた
[2]3年間甲子園出場なし。最大の悔いとは

 球界屈指の守備型捕手として注目される伊藤 光捕手。明徳義塾からオリックスに入団し、2014年には2位に貢献。18年シーズン途中、DeNAに移籍後も存在感を示してきた。19年には自己最多の8本塁打を放つなど、厳しいNPBの世界で、14年もプレーしてきた。15年目を迎える伊藤へ、高校時代やパフォーマンスを支えるスパイクなどについて迫っていく。まずは明徳義塾時代のエピソードだ。

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明徳義塾の環境は自分に合っていた


 愛知県岡崎市出身で、中学時代は東名古屋スターズでプレーしたが、明徳義塾の縦縞ユニホームに憧れた。
 「春夏の甲子園をテレビでよく見ていて、常連校としていつも甲子園に登場するのが明徳義塾でした。ユニホームがタテジマの明徳義塾に憧れを持ったのが1つの理由です」

 伊藤の先輩が明徳義塾にいたのも大きなきっかけだった。2002年夏から2004年夏まで5季連続で甲子園出場した梅田 大喜氏は中学のチームの先輩で、さらに1学年上の先輩が明徳義塾にいたことも決め手になった。

 「5季連続出場の先輩がいたことも憧れになりましたし、1学年上の先輩からも、明徳義塾の寮生活のリアルな話も聞いていて、校則の厳しさも知っていました。それも覚悟した上で、明徳義塾に行こうと思っていました」

 校則が厳しく、野球漬けの寮生活。選手によっては、相性もあると思うが、伊藤にとっては絶好の環境だった。

 「校則の厳しさが想像以上だったことは間違いないです。やはり山の中にありますので、自由がない環境だと思います。ただ、野球するには最高な環境です。
 高校生らしい生活は送れないと思います。山の中にあって、外食にいけるわけではなく、外出にも制限がかかる。普通の高校生にとってはきついことだと思います。ただ、僕の高校時代、やることは野球をすることでしたので、野球を集中するには、最高な環境だったと思います」

 伊藤の成長に欠かせなかったのが名将であり恩師の馬淵史郎監督の存在だ。特に学んだのが勝負勘だ。
 「馬淵監督からは、野球観もですけど、僕が一番学ばさせていただいたのは勝負勘ですね。
物事の先を読んで、逆算して、対策を練る。試合中は状況が変化して、すぐ対応していくことが大事ですが、馬淵監督はその対応力の凄さを高校3年間体感しました。
 強いチームと対戦した時、作戦や、次に起こりうるプレーを予測した上で、指示をもらうのですが、言っていることは当たることが多かったです」

伊藤光選手も使用するコウノエベルトスパイクの詳細はこちらから

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