目次

[1]親に投げている姿をより見てもらいたい思いで
[2]甲子園にいったからこそ自分の実力不足が理解できた


 千葉ロッテドラフト1位・鈴木 昭汰常総学院-法政大)。キャンプ一軍スタートで即戦力左腕として期待がかけられている。そんな鈴木の野球人生について迫る。

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親に投げている姿をより見てもらいたい思いで


 鈴木の野球人生を振り返るとエリート中のエリートという言葉が似合う。

 U-15代表を経験し、アジア大会で優勝。常総学院では1年春からベンチ入りし、3度の甲子園優勝。そしてエリート揃いの法政大でエースとなり、優勝も経験。その過程では苦しい時期はあったが、鈴木のプロ入りするまでの足跡はアマチュア選手だけではなく、プロ野球選手と比べてもまばゆいものだ。

 そんな鈴木は小学校1年生から野球をはじめ、永国東ジャイアンツに入団。野球が好きだったわけではなく、友達と一緒に少年野球を見に行ったら、チームも混ざってみたらと誘われたのがきっかけだ。小学校まで外野手を中心にプレーし、投手としてマウンドに登ってもコントロールは悪かったと振り返る。

 中学では霞ヶ浦ボーイズに入部。3年生には全国準優勝を果たすまでの左腕へ成長。最速138キロまで速くなったが、入部当初は110キロにも満たないほどで、鈴木自身、ここまで速くなる予感は全くなかった。
 「まず体も小さかったですし、少年野球から中学野球はマウンドまでの距離も少し長くなります。そこに合わせるのはとても難しいですし、全然でしたね。」

 霞ヶ浦ボーイズでは徹底としてランニング、トレーニング。そしてピッチング練習とハードなメニューで体力を強化していったが、しかし同じ練習量でどの投手も鈴木のように成長ができるわけではない。急成長は試合の経験を糧にしたことだ。
 「技術的に学んだことは正直覚えていません。ただ、試合を経験していく中で、投手のスキルを覚えることができたこと。また中学3年間は体の成長期じゃないですか。その時のトレーニングも良くて大きく成長ができたと思っています」

 そうした活躍が認められ、U-15代表も経験。当時のメンバーから高卒、大卒含め5人もいる黄金メンバーだった。

 「大卒で行く選手が自分を含めて3人(五十幡 亮汰佐野日大-中大-北海道日本ハム>、古川 裕大久留米商-上武大-北海道日本ハム>)もいて、非常にレベルが高い選手たちも集まりでしたし、コーチの方には元プロの方もいてとても良い環境でプレーができたと思います」

 その中で高校時代でも自身の武器として身に着けたシュートは鹿取義隆氏から教わった。
 「鹿取さんの現役時代、シュートが代名詞な方じゃないですか。鹿取さんから変化球の投げ方を教わって、特にシュートは高校でも大きな武器になってくれました」

 常総学院に進んだきっかけについてこう話してくれた。
 「茨城のイメージといえば、常総学院。家から近い学校ですし、もちろん、常総学院以外にも選択肢は他にもありました。しかし家が近くて、両親にも自分の姿を見てもらって、甲子園にも近い学校はどこかなと思ったら、常総学院でした」

 こうして常総学院に進むことを決断する。