目次

[1]非科学的なことをすることで忍耐力が付く
[2]大学野球の壁にぶつかるも不屈の闘志を胸に

 昨年は第100回の記念大会となった夏の甲子園を制するなど春夏連覇を飾り、高校野球界に覇をとなえた大阪桐蔭(大阪)。その歴史に名を刻んだチームで主将を務め、現在は東京六大学の名門・早稲田大でプレーしている中川 卓也選手。
 後編では、選抜甲子園以降のチームの状況や、大学野球での苦悩についても迫っていく。

中川卓也(早稲田大)が今、振り返る濃密な1年間 「我が強い」チームとの向き合い方【前編】


非科学的なことをすることで忍耐力が付く


 センバツ直後の春季大会はメンバーがガラリと変わったこともあり、チーム内の競争が熾烈になった。
 「メンバー外だった選手からしてみればチャンスですから、グラウンドの上ではみんながライバルという雰囲気で、夏まで緩むことなく練習をすることができました」

 6月頃からは夏の暑さを想定した練習も始まった。
 「長袖の上にVジャンとグラウンドコートを着て、さらにマスクを付けてグラウンドを10周走りました。そのあとアップとトレーニングをして、ポール間を走って、練習をして、ランをして終わるというスケジュールだったのですが、西谷(浩一)監督は『非科学的なことをすることで忍耐力が付く』と話されていて、6週間もの間、毎日、やっていました。正直、とてもキツかったのですが、『絶対に春夏連覇をしたい』という思いがあったので、ミーティングでは『一日一日を大切にしないと後悔するし、大切にしたところで連覇できるかは分からないのだから、ムダにできる訳がない』と気を引き締めていました」

 7月になり、北大阪大会が開幕。中川選手は大会前から「ダメ出しだけだとモチベーションが下がってしまうのでガミガミ言いすぎないように、かつ、おだてすぎないように、かなり気を使っていました」という。
 そして、「注目されているのは分かっていましたが、『プレッシャーで実力が出せないということがないように、むしろ試合で力に変えていこう』と声を掛けました」



大阪桐蔭時代の中川卓也(早稲田大)※写真は春季近畿地区大会の優勝時

 順調に勝ち上がった大阪桐蔭は準決勝で宿敵・履正社と対戦。8回裏に逆転を許し、9回表も二死走者なしまで追い詰められたが、土壇場で3点を奪って辛くも勝利。その試合、3番で出場していた中川選手も二死一塁の場面で打席に立ったが、フルカウントからファウルで粘って四球を選び後続につなげた。

 「あの場面では『4番の藤原につなげば何かが起こる』という自信がありました。ピッチャーもバッターもみんな信頼しあっていましたし、苦しい練習を積み重ねていたので『こんなところで負けられない』という気持ちもありました」

 難敵を下して夏の甲子園へコマを進めた大阪桐蔭は全国の舞台でも躍動。目標だった春夏連覇を達成した。
 「周囲からは『王者・大阪桐蔭』という呼ばれ方もしましたが、細かなところを見れば技術的に足りない部分もありますし、自分たちの弱さも知っているので、チャレンジャー精神を持って一試合一試合を戦っていました。優勝してマウンドに集まった時は『1年間、苦しいこともあったけれど、キャプテンをやってきて良かった』と思いましたし、整列するまでの間にチームメートから『キャプテン、ありがとう』『ナイス! キャプテン』と声を掛けられて、思わず涙がこぼれました」