人間力×高校野球

第16回 「野球選手としての姿勢」~相手のミスに喜ばない~2011年02月23日

 果たして、その「1勝」にどれだけの価値があるのだろう――。

 大会などを見ていると、そう思ってしまうときがある。興南が昨夏の甲子園決勝(2010年8月21日)で東海大相模を破った1勝は非常に価値のあるものだった。それは、興南の1勝というより、沖縄に深紅の大優勝旗が渡るという意味合いでも、沖縄の高校野球界にとって、非常に価値のある1勝だった。
 しかし、かといって、各地方大会や地区大会、そんな価値があるものばかりではない。もちろん、「勝つことに価値がない」と言っているわけではない。「1勝」にこだわり過ぎるあまり大事なものを見失ってはいないかと問うているのだ。

勝つことができるのであれば――「相手のミスを期待する」

勝つことができるのであれば――「相手のミスに喜ぶ」

 「勝つ」ということの価値は、ただ、その試合にだけに存在するものではない。逆に言えば、勝てば、すべてが満たされるのかというと、決してそうではないはずだ。特に、昨今の高校野球を見ていると「勝つ」ということに対する異常なまでの執着が、野球選手としての基本姿勢を乱しかねない、そんな気がしてならないのだ。

 プレーしている選手だけではなく、指導者、ひいては保護者たちにも、もう一度、考え直してもらいたい。その「1勝」にどれだけの価値があるのだろうか、と。相手のミスを期待してまで、勝つことで、何が得られるのだろうか。ある高校の練習試合を見ていて、愕然としたことがあった。

 センターの後方、応援に来ていた保護者の集団近くで試合を見ていると、そのセンターに打球が飛んできた。守っていた中堅手は必死にボールをつかもうとするが、グラブに一端は入ったと思われたボールがこぼれ落ちた。すると、そのシーンを見ていた保護者たちが手をたたいて大喜びし始めたのである。中堅手がはじいたボールが保護者のいたあたりに転がり、ボールをこぼした選手が取りに来ても、保護者の狂喜乱舞する様子は変わらなかった。

 ボールが捕れなくて必死になっている少年がいる前で、手を叩いて喜ぶ大人の姿。あれほど、無残な光景を見たのは、今まで野球観戦歴で初めての衝撃だった。これが「1勝」のための、異常な執着である。勝ちたいがために、基本姿勢を失っている。