ロッテ・佐々木 朗希投手(大船渡高出身)が、またもインパクト十分の投球を見せた。10日のオリックス戦で完全試合を達成。17日の日本ハム戦では先発8回完全の投球を見せた。高卒3年目とは思えない圧倒的なパフォーマンスに興奮しているファンも多いことだろう。

 佐々木に関しては、高校、プロで育成システムが一貫している。かなり稀なことだ。

 これまで多くの球児を取材してきて、プロで活躍できずに球界を去ってしまった選手を多く見ている。そこには実力不足だけではなく、その選手がその環境に合っていたか、適応できたかということもあったと思う。

 環境、指導者が違えば、方針が違って当然。個人が組織に対応していくのが一般的な流れだが、組織、そして指導者が佐々木朗のために動いている。動かざるを得ないほど傑出した存在なのが佐々木朗なのだ。

 今や佐々木朗の登場によって、選手のパフォーマンスアップ&コンディション維持についての議論が活発化するようになってきた。

 高校野球をずっと報道している者としては、ここまでの出来事を記録したいと思い、コラムとしてつづることにした。ある意味、佐々木朗にとって大船渡高とロッテの計約6年は奇跡的であり運命的な出会いだった。

 高校時代の佐々木朗は十数年で1人の逸材だと思った。

 長年、ドラフト候補だけではなく、甲子園や、地方大会、地区大会まで見て、多くの球児を見てきたが、佐々木朗は特別な存在だった。

 佐々木朗を預かった当時の國保監督は、どれだけ重荷だったか、責任を感じたか、その苦労は計り知れないものがある。ただ國保監督は医学的な知見から投手運用、練習のマネジメントができていた。まだ成長期だった佐々木朗の肉体にとって、並外れた速球を投げることがどれだけ負担がかかるのかを理解していた。イメージだけではなく、専門家から意見を仰ぐ柔軟性もあった。

 この運用はもちろん佐々木朗だけではなく、他の投手陣にも適用した。

 佐々木の中学時代のチームメイトでもある、駿河台大の和田 吟太投手(3年=大船渡高)は國保監督の方針について、
「本当に投手の状態を気遣ってくださる先生で、投手が全力で投げられるように調整させてくれる方でした」

 國保監督在籍時の大船渡高は、1週間ごとの球数を管理していた。あくまで目安だが、和田の場合、大会前では1週間で球数は100球以内、大会とは関係がない練習試合の場合、150球以内と決められていた。

 もちろん、理想的に球数を制限して公式戦で勝てるほど甘いものではない。佐々木朗は4回戦で192球投げた試合もあり、高校最後の夏の大会決勝の投手起用でも、いろいろな意見があった。

 地元の選手が集まった県立校があと1勝で甲子園出場となった夏の決勝。球場に向かう時、岩手県民の多くが佐々木朗へ大きく期待を寄せた。高揚した気分となった大人たちが多くいた。しかし佐々木朗は登板しなかった。それどころか、野手としての出場はなかった。エース&主砲を担う佐々木朗の欠場に、落胆どころか怒りをぶつけるファンもいた。