平成以降のスーパーエースといえば、高校生レベルを超えた投手が非常に多かった。今回はそんな大投手たちを紹介していく。まず2011年夏の甲子園優勝投手となった吉永 健太朗日大三)だ。

シンカー武器に世代屈指の好投手へ


 吉永は2年春のセンバツ準決勝の広陵戦でデビュー。1.2回を投げて3失点とほろ苦いデビュー。

 それでも順調に能力を伸ばしていき、都大会優勝。2年秋、明治神宮大会に出場した吉永はまず初戦で玉熊将一(法政大-明治安田生命)擁する北海相手に1失点完投勝利、準決勝の浦和学院戦では最速145キロをマークした速球、変化球を武器に、2失点完投勝利。決勝の鹿児島実戦でも1失点完投勝利を収め、優勝投手となった。

 神宮大会のパフォーマンスを評価され、センバツ前は世代屈指の右腕として注目されるようになった。ただ、初戦の明徳義塾戦で4失点、ベスト4まで勝ち進んだものの、8失点。思うような投球ができない時期が続いた。

 夏の甲子園では、2回戦の開星戦では8失点を喫したが、二桁奪三振3回、準々決勝の習志野戦、決勝の光星学院戦では完封勝利。習志野光星学院は全国トップクラスの攻撃力を誇る強打のチームだったことを考えると、高く評価できる快投だった。

 好調時に投げ込む140キロ後半の速球、シンカーをコンビネーションにした投球は攻略困難な投手だった。

 3年春夏の甲子園では、失点する試合もあったのだが、ハマったときは手がつけられない。良かった試合のインパクトが非常に強い投手だった。吉永は甲子園が終わった後もさらに評価を挙げた。

 甲子園後に開催された第9回AAAアジア野球選手権の高校日本代表に選出され、決勝戦の韓国戦では最速147キロをマークした速球、切れのあるスライダー、シンカーを織り交ぜ、1失点完投勝利。当時、韓国代表には、河周錫(ハ・ジュソク  現ハンファ)、通算102本塁打を放っている具滋昱(ク・ジャウク 現三星ライオンズ)など後にKBOで活躍する強打者が多くいた打線に対して、この快投は圧巻だった。

 卒業後は早稲田大進学後、1年春に大学選手権優勝を経験。卒業後はJR東日本に入社し、19年に現役引退を表明している。

(文=河嶋 宗一