目次

[1]ほぼ野球未経験者を教えた最初の2年間が原点
[2]数字の可視化は選手たちの目標を明確化させ、モチベーションもアップさせた
[3]激しい競争でベンチ入り選手、ベンチ外選手の力量差もほとんどないチームへ



 昭和後半〜平成初期にかけて、全国的な強豪となった仙台育英(宮城)。2015年夏を含め2度の準優勝を果たし、現在も日本の高校野球ではトップをいく超名門校である。

 高校野球ファン、アマチュアプレーヤーからすれば「最新鋭」のチーム運営を実践する野球部に映ると思う。投手、野手のそれぞれのパフォーマンスによってタイプ分けをしたり、数値化してメンバー選考の基準とする。デジタル機器を使いながら、選手のレベルアップもサポートしている。取材すると、まだ高校生ながらも、大学生と話している雰囲気が漂う。自主性も高く、まさに、令和のスポーツチームの運営のお手本ともいってもいいくらいだ。

 今回はそんなチーム運営や、夏へ向けてのチーム構想を連載をしていく。

これまでのシリーズはこちら
「最初の2年間が原点」最新鋭のチーム運営を行う仙台育英はいかにして生まれたのか vol.1
仙台育英が求める選手のマインド、技術的な長所とは? vol.2
大阪桐蔭から学び、日本一を目指してきた仙台育英の22年度の改革 vol.3

ほぼ野球未経験者を教えた最初の2年間が原点



須江監督

 チーム運営の具体的なやり方の前に、運営を行っている須江航監督の指導ルーツを振り返る必要がある。どんな経験をしたら、こういう運営ができ、現在の指導にたどり着けるのか、ひも解いてみたい。

 須江監督は仙台育英のOBで八戸学院大に進み、学生コーチを務めた。大学生の時に、学園から秀光中等教育学校(現・秀光中)の軟式野球部の立ち上げのため、監督就任の誘いがあった。

 須江監督は大学卒業後、秀光中学校の教員として就職し、さらに軟式野球部の初代監督に就任した。のちに中学軟式のトップを行くチームとなった(現在はボーイズリーグに所属する)秀光中学校だが、立ち上げ当時、野球経験者は1人のみだった。さらに当時の部員は、土日は勉強に費やし、平日の放課後も塾通い。国公立大志望の選手が多く、ほぼ運動をしたことがない選手がほとんどだった。しかし、逆にそのスタートこそが大きなプラスになった。

 「運動していなかったどころか、まず野球のルールを知らない子たちの集まりでした。右利きならば、グラブをどちらに嵌めるか、打った後、一塁ベースに向かって走る。ある程度知っている子たちではなく、知識ゼロの子たちの教えですから、原則を教えないといけない。こういうところからのスタートでしたから、最初の2年間の指導生活は本当に学ばさせてもらって、今の指導の原点となっています」

 原理原則を丁寧に教える。選手たちの指導で心がけているのは、過信をしないことだという。

 「この2年間で学んだのは、『選手たちは言わなくても分かるだろう』『分かっているだろう』『確認しないでもできるだろう』という感覚がなくなりました。良い意味の期待感はありますが、過信しすぎないことは今でも生きています」

 そのスタンスは秀光中が全国レベルの強豪となり、入部する選手のレベルが高くなっても、仙台育英の監督に就任しても変わらなかった。

 「中学生を指導している時、高校生を見た時、大人かなと思ったのですが、実際に高校生を指導してみると、高校生もまだまだ子供なんだなと。だから野球についても、野球以外についても1つ1つ丁寧に教える必要があるなと思いました」

 こういうスタートだったからこそ、数字を持って可視化させる必要があるという考えに至るのだった。

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