目次

[1]意識改革からスタートした
[2]智辯和歌山の「伝統」
[3]トップクラスの総合力を生かすために


 昨夏の大阪に旋風を巻き起こしたのが興國だ。準決勝では履正社に延長タイブレーク14回の末にサヨナラ勝ち、決勝ではサヨナラ負けを喫したが、大阪桐蔭と互角に渡り合った。

 過去には春5回、夏2回の甲子園出場経験があり、1968年には夏の甲子園初出場ながら優勝を果たしている。しかし、75年夏を最後に甲子園から遠ざかっていた。そんな古豪がどのようにして復活を果たしたのだろうか。

意識改革からスタートした


 校舎は大阪市天王寺区にあるが、グラウンドはそこからバスで約1時間移動した枚方市にある。部員は2学年で80人と多いため、班分けをしながら練習を行っている。

 このチームを率いて、再興に導いたのが喜多 隆志監督だ。智辯和歌山時代には同校の現監督である中谷仁とともに97年夏の甲子園で優勝。慶應義塾大では4年秋に東京六大学記録となる打率.535をマークするなど、通算114安打を放った。ドラフト1位で入団したロッテでもパ・リーグの新人史上初となる2試合連続サヨナラ打を記録するなど、野球ファンの印象に残る活躍を見せている。

 2006年に現役を引退した後に教員免許を取得。11年から16年まで母校で副部長、部長を歴任した。そして、17年から興國に赴任し、18年夏から監督を務めている。

 智辯和歌山で選手、指導者生活を送ってきた喜多監督が興國に来てまず驚いたのが、部員数だった。1学年10人前後と少数精鋭の智辯和歌山と違い、興國は3学年揃うと、部員数は優に100人を超える。そして、それ以上に感じたのが、選手の意識の差だった。

「数以上に衝撃を受けたのが、甲子園という目標が明確ではなかったということ。こういうチームが逆に普通なんだろうなと初めて知ったので、そこからのスタートではありました」

 甲子園常連校の智辯和歌山と40年以上甲子園から遠ざかっている興國とでは、甲子園に対する捉え方から違っている。まずはそこから認識する必要があった。部員や選手の意識に合わせて、もちろん指導法も変えている。

「班分けをして、グラウンドを目一杯使いながら、練習メニューを組んでいます。言葉を丁寧にわかりやすく伝えてあげないといけないし、なかなか集中力が持たないことがあったりするので、飽きないように工夫をしながらやっていますが、そこは大きな違いかなと思います」

 この日も午前中のランナー付きノックでは先にAチームが守備で、Bチームがランナー、途中でそれを入れ替えるのだが、それでも部員が溢れてしまうので、他の選手はライト後方にある芝生で基礎練習を行っていた。指導者の数も多く、個々の現状に合わせた練習ができるように工夫がなされている。

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