目次

[1]甲子園出場を目指して京都成章に進学
[2]甲子園出場のために文武両道に励む
[3]甲子園初出場も初戦でまさかの大敗
[4]危ない試合をモノにできるチームが夏に勝つ
[5]悲願の甲子園1勝。その後も破竹の快進撃
[6]高校野球が今にいきているのは「忍耐力」
[7]映画「ザ・エージェント」の影響からスポーツマネジメントの世界へ
[8]上原浩治さんの一言で独立。トップ選手からの刺激も糧に進む

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 2021年7月7日、平成の怪物と呼ばれた松坂 大輔投手が今季限りで現役を引退すると発表した。

 世代の象徴として、同学年に当たる1980年度に生まれた選手たちは「松坂世代」と呼ばれ、プロ野球界だけでなく、高校野球や大学野球で彼らとともにプレーした著名人など、世代のつながりは強く続いている。

 そしてそんな「松坂世代」の一人として、甲子園の舞台を経験したのが株式会社スポーツバックスの澤井芳信社長だ。

 京都成章高校の主将として、春夏と2度の甲子園出場を果たした澤井さんは、第80回全国高等学校野球選手権大会では決勝進出を果たし準優勝。決勝では松坂投手を擁する横浜高校にノーヒットノーランで敗れたが、「あの決勝戦は一生の財産」と胸を張る。

 現在はスポーツマネジメント会社を経営し、元メジャーリーガーの上原浩治さんや広島東洋カープの鈴木 誠也選手のマネジメントを手掛けているが、高校野球の経験は現在にどのようにつながっているのだろうか。

甲子園出場を目指して京都成章に進学



取材中、笑顔を見せる京都成章OB・澤井芳信さん

 京都市伏見区出身の澤井さん。学区内には伏見稲荷大社があり、小学校の時は遠足に、また中学時代は友人との溜まり場にもなっていた。

 野球は小学校3年生時に兄の影響で始め、地元の少年野球チームに入団。だが、決して強豪チームだったわけではなく、中学校に入学時も硬式野球チームではなく部活動の軟式野球部に入部した。
「小学校の時は万年1回戦負けのチームで、僕の代限りで潰れました。中学時代も硬式野球のチームには入っていなかったので、練習もそれほどキツかった記憶もないし、練習後に友達と伏見稲荷大社で話したりしていましたね。

 両親も厳しい人ではなかったので、勉強しろと言われたことはないし、野球の練習をしろとも言われたことはありませんでした。野球の試合を見に来たことも、ほぼなかったですね」

 中学時代は、最後の夏の大会では京都市内の大会でベスト16に進出。京都府の中でもレベルは決して低くないチームで、同地区から強豪校に進む選手も少なくなかった。

 中学野球を引退して進路選択の岐路に立った澤井さんは、甲子園へ行くために、一般受験で京都成章の入学を目指すことを決断する。
「僕が中学3年の時、京都成章が甲子園初出場を果たしました。結果は1回戦負けでしたが、その後チームの練習会にも参加させていただき、そこで京都成章は大学進学を目指している進学校だと聞かされました。

 決して勉強ができたわけではないですが、平安高校(現龍谷大平安)や京都西高校(現京都外大西)といった強豪校に入るイメージもなくて。かといって公立高校に行けば、甲子園のチャンスは少なくなると思って京都成章を目指すことに決めました」

 当時の澤井さんの成績は、オール3で体育だけ5。

 合格ボーダーラインのギリギリだったが、中学野球を引退してから塾に通いはじめ、成績は右肩上がりに向上した。

 こうして京都成章に見事合格した澤井さんは、晴れて野球部の一員として甲子園を目指すに至ったのだ。