目次

[1]「辛かったよな」と声を掛けたい高校時代
[2]年末年始に「他人の家」で過ごした経験
[3]ビビることはやめ、常にプラス思考になった

 元プロ野球選手でありながら、引退後に複数の企業を経営する実業家に転身した男がいる。飲食店やプロ野球選手のセカンドキャリア支援などを行う、株式会社GSLの小野剛社長だ。

 巨人、イタリア、西武で計6年間プレーした小野さんは、引退後に不動産会社を経て独立。
 ホテル経営や飲食業などに携わりながら、ルートインBCリーグに加盟する福島ホープスのGMにも就任(現在は退任)。事業を多方面に広げて、拡大させてきた。

 そんな小野さんは、現在の活躍の土台を作ったのは高校野球での経験であると語る。
 神奈川の名門・桐蔭学園での3年間は、小野さんにどんな影響を与えたのだろうか。

このシリーズの他の社長のストーリーを読む!
【一覧】人生で大切なことは高校野球から教わった

「辛かったよな」と声を掛けたい高校時代


 大分県中津市出身の小野さん。小学、中学時代は、野球よりも勉強に重きを置いていたと振り返るが、180センチを越える身長と140キロに迫る剛速球は中学生のレベルを優に超えていた。九州地区では有名人であり、強豪校から引く手あまただった小野さんだが、慶應大学への憧れから桐蔭学園に進学した。

 「当時は高木大成さん(元埼玉西武)、高橋由伸さん(元巨人監督)が桐蔭学園から慶応大に進学していて、自分も慶應大に行きたいなと。
 ただ、入ってみると井の中の蛙だったというか。もっと凄い奴らはたくさんいて、高校では野手になりましたね。関東に出ずに、地元に残って野球を続けていた自分を見たかった思いは今でもありますね」

 大きな自信を持って桐蔭学園の門を叩いた小野さんだったが、入学後は外野手に転向。
 打者としてレギュラーを目指すも、ハイレベルな環境の中でポジションを掴むことができないまま小野さんは高校野球を終える。
 卒業後は東京六大学への進学も目指したが、思いは叶わず大学野球では新興の武蔵大学へ指定校推薦で進学した。

 高校時代の3年間は、小野さんにとって苦しみの期間であった。
 当時を振り返り小野さんは、「いい思いは無かったから、辛かったよなと声を掛けたい」と話す。今となっては、社会を生き抜くための糧になった貴重な3年間であったが、自信を見事に打ち砕かれた不遇の期間であったことが伺える。

 「思い通りにいかないことばかりでも、それを受け入れて何とか頑張り抜くことが大事だと思います。
 当時はそんなことを考えてもいませんでしたが、辛い自分に対して決して損じゃないよと言ってあげたいですね。当時の自分に声を掛けてあげるとしたら、頑張れ頑張れです」

 不遇の3年間を過ごした小野さんであったが、大学進学後は深い霧が晴れたように目覚ましい活躍を見せる。

 武蔵大学では再び投手に専念すると、そこから投手としての才能が一気に開花。首都大学野球リーグ二部の記録を塗り替える通算37勝を挙げ、主力投手として活躍を見せる。その活躍はプロ野球関係者の目に止まり、2000年のドラフト会議で巨人から7位指名を受けた。