3月8日に開幕した第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。侍ジャパンのリリーフ陣の一角として活躍が期待されているのが巨人の守護神である大勢だ。
兵庫の西脇工時代は最速147キロ右腕として活躍。プロ志望届を提出したが、この時は残念ながら指名漏れとなった。
高校卒業後は関西国際大に進学。故障に苦しむ時期がありながらも157キロを計測するまでに成長し、ドラフト1位で巨人に入団した。
昨年はルーキーながらクローザーに抜擢され、57試合に登板して37セーブをマーク。見事、セ・リーグの新人王に輝いた。
昨シーズンの活躍が評価され、プロ2年目ながらWBCの日本代表に選出。順調にスター選手への階段を上っている。
その大勢の西脇工時代の恩師であり、現在は京都共栄で指揮を執る木谷忠弘監督に高校時代の大勢について語ってもらった。

木谷忠弘監督
大勢を語る上で欠かせないのが4歳年上の兄・翁田 勝基さんの存在だ。勝基さんは2013年夏に西脇工のエースとして甲子園出場に貢献。兄の試合を観戦に訪れていたこともあり、木谷監督は小学校高学年の頃から大勢の存在を認識していたそうだ。
「西脇工に来て、お兄ちゃんみたいに頑張るんやぞ、みたいな話は冗談混じりでしていた記憶はあります」と当時を振り返る木谷監督。その期待通りに大勢も西脇工に進学することになった。
入学当時の印象については、「弟っぽい一面はあるんですけど、兄の勝基よりも身体能力は随分高いのかなと思いました」と感じていたようだ。
投手としての期待値も高かった大勢だったが、1学年上に現在は日本生命の投手として活躍する武次 春哉投手がいたため、2年生の夏までは野手として試合に出場することが多かった。木谷監督は打者としても非凡なものがあったと話す。
「スイングスピードも速かったですし、伴って飛距離も上級生に負けない飛距離があったので、入学後すぐに公式戦に出ていたという状況ではありました」
2年秋からは満を持してエースとなる。しかし、秋はコンディションが上がらず、思うように公式戦で投げることはできなかった。それを踏まえて冬場には肘に負担がかからないように動作を改善したり、体力トレーニングに取り組むなどして成長。「その期間でピッチャーとしてはすごく成長したかなと思っています」と木谷監督は話す。
3年生になってプロ注目の投手になった大勢はプロ志望届を提出。「もしかしたらという話も聞いていましたし、彼自身もそんな風に思っていました」と期待感を抱いていたが、ドラフト会議で名前が呼ばれることはなかった。当時のことについて木谷監督はこう振り返る。
「たくさんの人に期待してもらったのに、それに沿うことができなかったのも悔しいということを度々口にしていました。そこから大学進学を決めるんですけど、そこに向かう気持ちというのは随分と意識が高まったんじゃないかと思います」
その後は武次も進んでいた関西国際大に進学。3年生の時に試合を観た木谷監督は大勢の成長をこう感じていた。
「見違えるように体の動きがしなやかになって、投げる球も変わっていました。高校の時から速かったんですけど、それに加えて球の強さを感じたので、随分と成長したなと思っています」
大学で実力を伸ばした大勢はドラフト1位で巨人に指名された。指名はあるだろうと思っていた木谷監督も1位指名には驚いたという。
「使命はあるんだろうなと正直、思っていました。ただ、1位でというのが驚きと言ったら変ですけど、指名にはかかるんだろうなと思っていました。(1位指名には)驚きの方が大きかったですね」