オリックス吉田正尚選手(左)と鯖江ボーイズの佐々木昭弘監督(右)

 オリックスは25年ぶりにパ・リーグ優勝を果たし、クライマックスシリーズ(CS)突破から、日本シリーズ進出を決めた。選手会長であり、打線の主軸でもある吉田 正尚外野手(敦賀気比出身)は今シーズン、9月に左太もも裏負傷、さらに10月2日には右手首骨折と、度重なる怪我に悩まされたが、CSファイナルステージ初戦の11月10日に見事戦列復帰。万全ではない中で、チームに勢いをもたらした。

 日本シリーズでも「戦力」として、チームを鼓舞し続ける構えを見せるが、吉田選手の活躍に目尻を下げるのが、中学時代の恩師である福井・鯖江ボーイズの佐々木昭弘監督だ。豪快な打撃力、試合に向けた闘志は中学時代から健在だったことを明かし当時を振り返る。

「今年で監督になって25年目になり、これまで7名(チームとしては10名)のプロ野球選手を中学時代に指導させてもらいましたが、その中でも吉田は別格。モノが違いました。当時の吉田と今を比べても、打撃フォームは全く変わっていないようにすら感じます。もちろん今は風格もありますが、昔からフォロースルーの大きな、あんな感じのスイングでしたよ」

 現在、鯖江ボーイズが練習を行う西山公園グラウンドは、ライトフェンス奥に大きな防御ネットが設置されているが、これができるきっかけを作ったのは他でもない吉田選手だった。西山公園グラウンドは両翼91メートルと決して狭くない。しかし吉田選手の飛距離は当時から頭二つ抜けており、あまりにも簡単に場外へ放ってしまうため、慌ててチームが鯖江市にお願いしてネットを設置してもらったというのだ。

「中学校2年生くらいに、一気に才能が開花しました。バッティング練習をさせると、ほぼスタンドを越えていきます。完成するまでは打球が道路へ飛び出す危険があるため、申し訳なかったのですが吉田が打撃練習をする際は、保護者の方にライトフェンス奥にズラリと並んでいただきました」

 性格面でも、当時からプロ野球選手として活躍できる片鱗を見せていた。どんなに光る才能を持ってたとしても、相手はやはり中学生。手を抜いたり、指導者の目を盗んで練習をサボることはよくある。だが吉田選手には、そういった側面が一切なかった。

「グラウンドの外では、中学生らしいヤンチャな一面もあったようですが、練習になると目の色が変わります。自分のやりたいこと、やりたい練習をすべて自分の口で言ってくるんです。やらされる練習が一切ありませんでした。あんな選手は、なかなか現われないですよね」

 怪我を抱え、万全ではない中でも、チームを鼓舞し続ける姿勢は当時から健在だった。ここ一番での吉田選手の存在が、日本シリーズの大きな鍵を握るかもしれない。

(記事=栗﨑 祐太朗)